インターネットメディアとの付き合い方

インターネットは人の生活を便利にはしたけども、豊かにしたのかどうかはわからない。

特に最近怖いなと思うのは、負の感情がインターネットメディアの世界で渦巻いて、なにかこう、世の中の雰囲気を作り出してしまっているような一面があることだ。

しかしそれはおそらく一部であって大半の人たちが参画しているものではない。にもかかわらず、大半の人に影響をあたえるような雰囲気をまといだしていることが怖い。

このブログは、発達障害の診断はないが部分的にそのような特徴がある、いわゆるグレーゾーンにいる仲間たち(以下、「仲間たち」と表現する)の人生の足取りが少しでも軽くなればと思って書いているのだが、仲間たちは比較的インターネットメディアに興味が強い人が多い。理由はそれぞれ違うと思うんだけども、惹きつけられているであろうインターネットメディアの特徴を少し書き出してみる。

・対面せずにコミュニケーションが取れる
(コミュニケーションに関する不安が低くて済む)
・マイペースでアクセスできる
(人に合わせなくて済む)
・仮想空間なので、失敗しても大丈夫
(現実の人間関係がこじれるわけではないので気楽)
・匿名性がある
(言いたいことが言える)

これらの特徴は、やはり一時的にでも人を癒すような一定の魅力を持っている。だが、その一方で付き合い方の距離感を間違うと、徐々に人の世界観をダークな雰囲気に塗り替えていくような怖さを持っている。上に挙げたような特徴は逆の視点で見てみると、次のような反転性を持っている。

・相手がどんな人かわからない
・相手も自分に合わせてはくれない
・相手もインターネット空間での関係はこじれても構わないと思っている
・無責任なことを言える

これらのことを前提として楽しむ分にはいいが、もしこれらのことがあなたの生活にダークな雰囲気をもたらす原因になっているのならば、あまり使わないほうが無難ではないだろうか。

それから、SNSの他人のリア充ぶりに自分の幸福感が下がってしまうような感覚を受ける人はやらない方が無難だ。自分に無いものばかり目について羨ましくなってしまうからだ。

僕の経験上、人間の欲はキリがない。もしも欲にキリがあったら生きる気力を失ってしまうから、人間は欲を持つよう遺伝子にインプットされている。

もしあなたが他人と自分を比較して、著しく不満を感じているならば、それはあなたの欲の仕業かも知れない。自分の欲に気づくこと。そして、インターネットやテレビの情報は、あなたの欲をもっともっとかきたてる作用があるということを知っておくことだ。

ちなみに、ネットの情報の中には、巧みに人の欲を喚起させたり、人に不安を与えることで、利益を得ようとしているものも多い。それから、Yahooニュースなどの記事の中には、見事なまでの情報操作(一方向に偏った意見を正しいと思わせる)を目的とした記事も多い。

情報の正しさや公平性に気づきにくい人は、新聞を読んだ方がいいだろう。

発達障害のことで複雑な気持ちになっているあなたへ

発達障害のある人たちの支援を始めてもう15年を過ぎた。

その発達障害を語る時、ちょっと注意しなきゃいけないことがあって、それは、人によって状態像が全く違うということ。そして障害と非障害の境目が曖昧なこと。だから、今日僕が書くときにイメージしいている状態像の人と、これを見ている人がイメージしている発達障害の状態像が一致しない場合に、話が噛み合わないんだよね。

なので、今日の記事でイメージして欲しい状態像をしっかりと定義してから話を進めます。今日話したいのは、発達障害の診断域「外」の人。しかしながら部分的に強い苦手さが見られる人。もうほとんど一般の人たちには、「えっ!?なんか困っていることあったの?」って思われちゃうくらいの程度の人について書きます。

もともとはこんな記事書く必要もなかったんですが、近年診断基準の改定や法制度の改正によって、またメディアにおける発達障害の取り上げられ方によって、非常に不安を感じている人が増えているように思うので、すこし触れさせてください。

診断基準からは外れるんだけど、認知機能の不得意さがあるというのは、本来は学校や職場における個性やパーソナリティの範疇です。記憶力が優れた人苦手な人、論理的な思考が得意な人苦手な人、推測することが得意な人苦手な人、想像することが得意な人苦手な人、衝動性をコントロールすることが得意な人苦手な人、計画的に行動できる人苦手な人、言葉の概念の扱いが得意な人苦手な人・・・・

人の違いをなす根底の部分といっていいですよね。

これの苦手さの程度ってすごく曖昧なんですよ。可視化することもできませんし、知能検査等によって数値にするにしても、それは脳の働きの1事象、1側面を見ているのであって、仮説にすぎません。高次の脳機能はまだまだ未解明といっていい状態らしいのです。

だから、発達障害か否かという視点は、いっとき片隅に置いておいてみてはどうでしょうか(診断域にない人をイメージして話を進めています)。なぜかというと、近年そのゾーンにまで不安が広がっているからです。

この問題、僕はこう思っています。大事なのは、本人の努力や工夫で乗り越えていける程度の問題なのか、それとも著しく生活に支障をきたしていて、本人の努力や工夫では乗り越えられない問題なのか。

では、本人にできる努力や工夫の中で、すこし盲点というか、一般的に気付きにくいところをお話しします。それは自分のことを知るということです。自分の得意不得意を知ったうえで職業選択をすることができれば、マッチング度合いは高まりますよね。そしてこの時、働く側が意外と気付いていないのが、その職業に求められる能力なんです。なので、逆の視点で考えてみるというのは有効かもしれません。

例えばコンビニの店員さんのお仕事であればどんな力が求められるのか。忙しい時間帯には次々とお客さんを捌くスピードが要求されますね。ファミレスの店員さんもお昼時は超絶なるスピードを要求されますよね。仕事が遅いと言われるタイプの人、複数の課題を同時に進行管理することが苦手な人には向かない可能性がありますよね。でも、仕事は遅くても1つのことに非常に緻密で丁寧な仕事をすることが得意な人であれば、職人なんか向くかもしれませんね。

例えばそんな感じです。

自分に合った環境を知ること。その前に自分のことを知ることも大事なんです。学齢期であれば、発達の多様性に対して周囲の大人たちが理解している環境が大事。定型発達に近づけることが目的ではありません。そもそも定型発達の定義さえハテナがつく概念です。すこしおおらかに発達を待つ姿勢も必要です。

もしそうではなくその人らしさのマップそのものを変えようとする社会があれば、ぼくは少し怖さを覚えます。単刀直入に言うと、発達障害の問題は画一化が進みすぎた社会の側の問題であることも多いと思うのです。なにかしらの基準を作って定型発達を目指していくということは、さらに画一化が進むということですから、結果的に社会全体で見るとこぼれ落ちる人がより増えていく可能性があるのです。

あなたはあなたでいい。日々を過ごす具体的なスキル。苦手さをうまくやり過ごす具体的なスキルを考えていきましょう。いつの時代も違いは存在してたんだから。

全く思うように進まない

数年前の話だ。

とある会議の場で久しぶりにお会いした方から、「大橋さんどんどん大きくなって」と言われた。両手の幅をオーバーに広げるようなジェスチャー付きだったので、

(あぁ、太ったって事ね)
「ええ、まぁ・・・。」
(おれこの人と1回しか話したことないんだけどなぁ)
てな感じで愛想笑いをして合わせようとしていたら、どうもそうじゃない。なんとなく嫌味なニュアンスを感じ、話を聞いているとどうやらあーるどが大きくなった事に対する嫌味を述べているようなのだ。

(おれがNPOを作った理由を10年前からさかのぼって、この間の苦労を会議の5倍くらいの時間使って説明し続けたろかいっ!)
と思ったんだけど、やめた。人と人は理解しあえない事もある。そう自分に言い聞かせた。10年前の自分だったら、ストレートに抗議してたろうなと思った。

そして僕は意外と『気にしい』(夜寝る前に一人でウジウジする)なので、言われた言葉の10倍くらいの重傷を負う(笑)

つい最近も同じようなことがあった。僕のことを思い通りの人生を歩んでいるかのように見える人もいるんだろう。

それはない。
どの人も例外なく、人生なんて全く思うようになんか進むもんじゃない。だけど、みんな歩き続ける。歩幅は違えど。回り道も、引き返す事もあれど。

でも。ふと、なんで苦しくても歩き続けられるんだろうと思ったんだけど。
それは、自分の事を自分で承認してやってるような気がするんだよね。

他人からの評価とか、他人と比べての立ち位置とか、そんなんじゃない。それをやっちゃ、なんかいつまでも報われないんだよね。

自分に「ようやっとるじゃん!自分」って声をかけてやってください。生きてるだけで丸儲けなんだから。