おだてることと勇気づけることの違い①

長くなりそうだから数回に分けて書く。とある禅寺に1週間ほど修行にいったときの話だ。

もう7.8年も前のこと。県外で同じような立場にある先輩に誘われて、1週間ほど禅寺に修行に行ったことがある。そこでとてもいい経験をさせてもらうことになるのだが、そもそもなぜ僕も先輩も禅寺に行こうと思ったかということなんだけども。有名なリーダーたちが座禅をやっていたという話をよく聞くということ(有名どころで言えば、スティーブジョブスや稲盛和夫、最近亡くなられた中曽根元総理大臣に至っては週に一回は座禅をしていたらしい)と、たまたまよく一緒に仕事をしていた先輩にいろいろ相談しているときに、心を鍛えないといけないなという話になり、座禅に誘ってもらったのがきっかけだった。あまりの忙しさに当日まで説明書をよく読んでおらず、なんと禅寺にジャケットスーツ一張羅で行くという、座禅を組む前に住職から喝をくらいそうな舐めた態度で向かったのだ。

到着後、寺での過ごし方の説明を受け、その日は就寝。次の日は朝5時に起きて外で太極拳をやるという。なかなかのハードさ。それよりハードだったのは、太極拳をやることなどまったく知らずに現地入りし、ただ1人雪がちらつく冬の禅寺で、スーツを着て凍えながら太極拳をする怪しいおじさんの絵面。ハードだろ〜笑

1日は早朝の太極拳に始まり、座禅、掃除、畑仕事と続き、午後はゆっくりと過ごす。夜もまた座禅の時間があり、その後は全国各地から修行体験に来ている人たちや、実際に住み込んでいる修行中の人たちとの交流の時間があるのだ。

僕が行った時は住み込みの修行僧が5人くらいと、修行体験の人たちが20人くらいだった。驚いたのは若者の多さと、それも「自立したい」という切なる想いを抱いた若者が多かったこと。そこまで表明はしないまでも、それを目的としている若者が本当に多いような印象を受けたのだ。

印象に残っているのは、高校を中退してしまった自分に納得が行かず、親に手紙を残し片道切符を手に1人修行に出てきた少年。
それから、大学を1回卒業し、現在は2つ目の大学の3年生の女性。何をやりたいのか分からず、卒業後はさらに専門学校に行こうか迷っており、自分探しのために来たという。本心はモラトリアム(社会に出るのが怖い)だということに気づいていそうなのだが、本音は言わない。
もう1人は、有名な大学の男子学生で、引きこもりになってしまい、休学中。なんとか再び学校に行けるようになりたいと、親に頼んで体験修行にきている大学生。
この3人が特に印象に残っている。

インターネットメディアとの付き合い方

インターネットは人の生活を便利にはしたけども、豊かにしたのかどうかはわからない。

特に最近怖いなと思うのは、負の感情がインターネットメディアの世界で渦巻いて、なにかこう、世の中の雰囲気を作り出してしまっているような一面があることだ。

しかしそれはおそらく一部であって大半の人たちが参画しているものではない。にもかかわらず、大半の人に影響をあたえるような雰囲気をまといだしていることが怖い。

このブログは、発達障害の診断はないが部分的にそのような特徴がある、いわゆるグレーゾーンにいる仲間たち(以下、「仲間たち」と表現する)の人生の足取りが少しでも軽くなればと思って書いているのだが、仲間たちは比較的インターネットメディアに興味が強い人が多い。理由はそれぞれ違うと思うんだけども、惹きつけられているであろうインターネットメディアの特徴を少し書き出してみる。

・対面せずにコミュニケーションが取れる
(コミュニケーションに関する不安が低くて済む)
・マイペースでアクセスできる
(人に合わせなくて済む)
・仮想空間なので、失敗しても大丈夫
(現実の人間関係がこじれるわけではないので気楽)
・匿名性がある
(言いたいことが言える)

これらの特徴は、やはり一時的にでも人を癒すような一定の魅力を持っている。だが、その一方で付き合い方の距離感を間違うと、徐々に人の世界観をダークな雰囲気に塗り替えていくような怖さを持っている。上に挙げたような特徴は逆の視点で見てみると、次のような反転性を持っている。

・相手がどんな人かわからない
・相手も自分に合わせてはくれない
・相手もインターネット空間での関係はこじれても構わないと思っている
・無責任なことを言える

これらのことを前提として楽しむ分にはいいが、もしこれらのことがあなたの生活にダークな雰囲気をもたらす原因になっているのならば、あまり使わないほうが無難ではないだろうか。

それから、SNSの他人のリア充ぶりに自分の幸福感が下がってしまうような感覚を受ける人はやらない方が無難だ。自分に無いものばかり目について羨ましくなってしまうからだ。

僕の経験上、人間の欲はキリがない。もしも欲にキリがあったら生きる気力を失ってしまうから、人間は欲を持つよう遺伝子にインプットされている。

もしあなたが他人と自分を比較して、著しく不満を感じているならば、それはあなたの欲の仕業かも知れない。自分の欲に気づくこと。そして、インターネットやテレビの情報は、あなたの欲をもっともっとかきたてる作用があるということを知っておくことだ。

ちなみに、ネットの情報の中には、巧みに人の欲を喚起させたり、人に不安を与えることで、利益を得ようとしているものも多い。それから、Yahooニュースなどの記事の中には、見事なまでの情報操作(一方向に偏った意見を正しいと思わせる)を目的とした記事も多い。

情報の正しさや公平性に気づきにくい人は、新聞を読んだ方がいいだろう。

全く思うように進まない

数年前の話だ。

とある会議の場で久しぶりにお会いした方から、「大橋さんどんどん大きくなって」と言われた。両手の幅をオーバーに広げるようなジェスチャー付きだったので、

(あぁ、太ったって事ね)
「ええ、まぁ・・・。」
(おれこの人と1回しか話したことないんだけどなぁ)
てな感じで愛想笑いをして合わせようとしていたら、どうもそうじゃない。なんとなく嫌味なニュアンスを感じ、話を聞いているとどうやらあーるどが大きくなった事に対する嫌味を述べているようなのだ。

(おれがNPOを作った理由を10年前からさかのぼって、この間の苦労を会議の5倍くらいの時間使って説明し続けたろかいっ!)
と思ったんだけど、やめた。人と人は理解しあえない事もある。そう自分に言い聞かせた。10年前の自分だったら、ストレートに抗議してたろうなと思った。

そして僕は意外と『気にしい』(夜寝る前に一人でウジウジする)なので、言われた言葉の10倍くらいの重傷を負う(笑)

つい最近も同じようなことがあった。僕のことを思い通りの人生を歩んでいるかのように見える人もいるんだろう。

それはない。
どの人も例外なく、人生なんて全く思うようになんか進むもんじゃない。だけど、みんな歩き続ける。歩幅は違えど。回り道も、引き返す事もあれど。

でも。ふと、なんで苦しくても歩き続けられるんだろうと思ったんだけど。
それは、自分の事を自分で承認してやってるような気がするんだよね。

他人からの評価とか、他人と比べての立ち位置とか、そんなんじゃない。それをやっちゃ、なんかいつまでも報われないんだよね。

自分に「ようやっとるじゃん!自分」って声をかけてやってください。生きてるだけで丸儲けなんだから。